背脂の歴史

『冷めたラーメンなんか食ぇねぇよ』

燕市はナイフやフォークの生産が日本一の洋食器の町です。
燕市はもともとは中之口川の流域で肥沃な土壌に恵まれた農村地帯でした。昔から和釘などの生産が盛んで大正ころから洋食器の生産が始まりました。昭和に入りアメリカへの輸出が始まり工場の数も飛躍的に増えていきました。洋食器の工程は地金と呼ばれるステンレスをプレスで型抜きをしバフと呼ばれるグラインダーで磨いていくのです。
農家の下請けとして「磨き屋」と呼ばれる小規模な研磨工場が雨後の筍状態で増えていきました。とにかく作れば売れたと言います。
以前は社長の数が日本一とかトヨタのクラウンの台数が日本一とか言われていました。それだけ零細な家内工業が多かったのです。
景気の良いときは、残業残業でご飯を作る時間がなく食堂の出前に頼っていました。ところが食堂の方も注文が殺到し、作りきれず出前されたラーメンはすっかり延びあがり冷たくなって食べられたものではありませんでした。
『そうだ 豚の背脂だ』

この「プレス」とか「磨き」と言う仕事は1個いくらの賃仕事です。とにかく数の勝負なのです。明けても暮れてもとにかく機械につかまって黙々と仕事をするのです。こういった単調な仕事を続けると食べたい物の嗜好が決まってきます。
「甘じょっぱい」か「塩っからいか」どちらかです。とにかく味の濃い物を体が求めるのです。
でもラーメンは昔の支那そばと呼ばれるあっさりタイプが主流でした。その流れは今でも三条市のラーメン店の多くにみることができます。
でも燕市の「福来亭」さんという一軒のラーメン屋さんが、悩みに悩んだ末に考え出しました。麺は時間がたっても延びないように太くし、スープは煮干でダシとり濃い口の醤油味としました。そうして極めつけは冷めないようにと誰も見向きもしなかった豚の背脂を煮込み「チャッチャッ」と振りかけることにしました。おそるおそる配達に行ったところ、麺は延びずスープも冷めずあったかく美味しく食べることができたのです。なんとこれが爆発的な人気を呼んだのです。以来燕のラーメンは「太麺の背脂醤油味」でなければラーメンでなしとまで言われています。
『煮干でだしをとった醤油味のスープ』

ここ燕市は職人の町。全盛期には肉体労働でヘトヘトになるまで働きました。そうすると体が求めるのは自然と脂っこくてしょっぱい味になります。更に新潟は昔からダシは煮干しで取るものと決まっていました。
結果論ですがこの燕三条の背脂ラーメンには煮干のだしが良く合います。濃い口の醤油味にはあんまり動物系ダシ主体では合わないように思います
各お店によってもちろん違いはありますが、煮干主体で豚ガラ、鶏ガラ、野菜のダシでとった重層的な味です。太麺にあうのは濃厚な醤油味のスープ。それに豚の背脂。この組み合わせは必然というほかありませんでした。
余談ですが最近は塩や味噌にもこの背脂を入れるラーメン店が多いようですが、それはあくまでも隠し味というか引き立て役といったスタンスのようです。
『背脂でなければラーメンでなし』

そしてこの背脂ラーメンが隣の三条市にもおよび、今や燕三条地区では背脂ラーメンでなければラーメンでないとさえ言われています。背脂はラーメン界では脚光を浴びていますがその本家本元はこの燕が発祥の地なのです。しかもワンポイントや隠し味に使うのではなく背脂をメインとして使うのです。初めてこの背脂ラーメンを目の前にした人はあまりの凄さに恐れをなし、又ある人は恐る恐る食べるのです。麺を一口ほうばりスープを蓮華ですすったならば嫌いになるか、やみつきになるかのどちらかです。
私の関東や北陸筋の友達も何かと用事を作りこの燕三条に来ているようです。


















