平成16年7月13日
工場の前を流れる新通川(しんどおりがわ)がなんとも言いようのない泥をたっぷりと含み流れは速く、いつのまにか水位が上がってきて、道路と同じ高さになってきていました。ここ三条の四日町はもともと土地の低いところで小さな床下浸水が、再々あったので「こんなこともあるさ」位にしか思っていなかったといいます。
突然濁流が一気に工場内になだれ込んで来ました。
7月13日、正確な時刻はわかりませんが、13時50分頃、五十嵐川が決壊したとのニュースが流れました。
◎廃業を決意
芳賀はこのとき廃業を決意したと言います。地元県央地区の生麺の卸業界でもそれと知られた製麺所でありまあしたが大手との価格競争に疲れていました。過酷な店舗競争のあおりを受け、豆腐や牛乳、生麺などの日配商品はエブリディロープライスの名の下に限界を超えるコストの削減を求められていました。この水害で機械設備は壊滅的な打撃を受け仕事を続けていくには、更なる借り入れを起こさなければならなかったといいます。
『もう廃(や)めよう』
そう思ったと言います。しかし踏みとどまったのは息子の一言でした。
『親父、ラーメン作る以外になんか出来るんか』
◎継ぐ気はありませんでした
芳賀はもともと製麺所を継ぐ気はなかったといいます。けれども22歳のとき既に就職は決まっていましたが、父親が倒れたために後ろ髪を引かれながらも故郷新潟三条へ返ってきたといいます。 当時は三条でも小売店からスーパーへと時代が移っていき生麺は面白いように売れたと言います。 しかし大型店が地方にも進出をしバブルがはじけて来て、流通網が整備されてくると大手の製麺メーカーが地方にも堰を切ったように進出してきました。
すると、それまでの状況が一変しました。
◎安売りの麺なんか作れねぇよ
或る時スーパーのバイヤーに呼ばれました。
『味はそこそこでいいから安売り用のラーメンを作れ』
帰りの車の中で芳賀は涙が流れたと言います。
お客様の『旨かったよ』の一言を張り合いに仕事をしてきたのに。お客様の本当に求めているのは安いラーメンなのだろうか、安ければそれでいんだろうか。満足のいくラーメンを作るにはどうしても手間とコストが掛かる。悩みました・・・
◎他のどのラーメンとも違う
芳賀は地元燕・三条のラーメン屋さんを食べ歩きました。特に燕三条の背脂ラーメン屋さんは繁盛していました。新潟県はもともとラーメンのレベルの高いところなのです。極太の多加水熟成麺、煮干でダシをとった醤油味のスープ、極めつけは豚の背脂でした。
俺に打てないはずはない。それからは試行錯誤の連続でした。そうして出来ました、小麦の旨さが光りコシがありもちもちっとした多加水熟成麺。そして失敗の連続だったスープ。煮干の深み醤油のまろ味が際立つ独特の燕三条スープ。